染み

ミートソースに入ってるセロリ、おいしい

習い事

私は習い事がマジで苦手だった。

学校柄周りの子は絶対習い事してて、ピアノとかバレエとか塾とかみんな行ってた。

親は自分ができなかった習い事の経験をたくさんさせようとしてくれて、その気持ちは今になるとすごくありがたいんだけど、当時の私は死ぬほど習い事したくなかった。

学校終わったら家帰って遊びたいのに習い事とかだるすぎない?バカじゃん。

 

最初はピアノで、小学校入る前にやってた。

楽譜を読むのではなく、先生が弾いたやつを聞いて覚えるみたいなピアノ教室だった。別にそれのせいだけじゃないと思うけど、今も楽譜読めないし音楽はマジでわからないまま23年経った。拍子ってなんだよ。音符はおたまじゃくしみたいで可愛い。

ピアノの練習が嫌すぎて、椅子から仰向けにのけぞって駄々こねてた記憶がある。

 

小学校低学年の時書道習ってたんだけど、学校の隣の建物(小学校内部生なら分かってくれると思う)でやってた。

待合室?みたいなとこに魔女の絵本みたいなやつ置いてあって、死ぬほど読んだ記憶がある。あと、先生がくれる飴がしゅわしゅわしてた気がする。成績いいとデカい飴もらえた気がしたけど誤記憶してるかも。

マジで舐めた子供で申し訳ないんだけど、この書道全然真面目にやってなかった。低学年なんだから素直に真面目にやれよ。

 

次はお絵かき教室と書道教室に通ってた。

お絵かき教室は友達に誘われて始めたんだけど、すごい色んなことを習ったし、油絵や粘土いじりに意欲を示したのもこの教室のおかげだった。すげ〜個性的な絵を描く個性的な先生とその奥さんがやってて、休憩時間には謎の甘いお茶をみんなに振る舞ってくれてた。何だったんだろうあれ。

私はこまっしゃくれた子供だったので大人っぽい絵を描こうとして全然描けてなかったし、それを先生に全部見抜かれてて、色んな指摘やいろんな描き方を教えてもらったように思う。あと、絵の具の手入れがクソすぎて油絵具が秒で固まった。

道教室はこれも友達と通ってた。

すごい厳しい女の先生だったんだけど、おかげで毛筆も硬筆も初段をとれた。習っといてよかったな。

普通のアパートの一室の教室で、部屋が墨の匂いだった。あと、なぜかベルばら全巻が置いてあったので毎週ちまちま読み進めてた。

この時期の習い事が一番記憶にあって、今の自分に強く影響してるなあと思う。

 

最後はマンツーマン式の塾に通ってた。

これは単純で、中学生の時成績が悪すぎて通わされてた。んだけど、意欲がなさすぎて答えをごまかすことしか考えてなかった。

マジで最悪なんだけど、先生が見てない間にドリルの答え丸写しして、ちょこちょこ間違えといて自然っぽさを装った。バカすぎるし、こんなことしてるから未だにくりあがり計算苦手なんだよな。多分世の塾講師の人たちにはこういうのバレてるんだろうな。

2年くらい通ってたと思うけど、最後まで最初から好きだった国語と歴史だけ点数良かっただけだった。進展なさすぎ。

 

あと習い事に入るか怪しいけど、小2〜小6までチャレンジやってた。

赤ペン先生は2回目で出すのやめたけど、毎週?来てたお楽しみブックみたいなやつはめちゃくちゃちゃんと読んでたしまだ取ってある。

あと九九を覚えるためのミニゲーム機みたいなやつがあったんだけど、それも死ぬほどやり込んだ。算数苦手だけど九九は間違えずに言えるの、このゲームのおかげなんだろうな。

 

結局中学生で習い事をやるのはやめちゃって(妹が習い事始めたからっていうのもあったけど)、親も私が習い事に向いてないことに気づいてたんじゃないかなと思う。

一人で絵書いたり文章書いたりゲームしてる方が楽しくて、もしかするとそっちを伸ばしたろと思ったのかもしれない。ありがたいなあ。

でもバレエとかバイオリンとか、一回も私が通らなかった習い事してて、それがちゃんと力になってる友達を見ると本当にすごいと思う。

私は結局習い事で大した成果を得られてないので、来世はピアノとバレエを習ってみたい。あとそろばんとか居合いとか。

来世はドリルの答えを丸写ししない、品行方正な子供になろう。

死ぬほど好きな作品

モノノ怪という作品が好きだ。

 

2006〜2007年に放送していたアニメ。

いつだったか忘れたけどブックオフで突如コミカライズに出会い、めちゃくちゃに好きすぎて当時周囲にいたオタク全員に押し付けて漫画を読ませた。

漫画を読ませた9割の人間から「よくわからん」みたいな感想をもらった。

別にそれに何か反感を抱いたわけじゃないんだけど、「なんてことだ」と思った。

こんなにすげー作品なのに!と思ったんだけど、個々人にとってそういう特別な作品はあると思うので、オタクのそういう作品についての妄言だと思って読んでください。

 

アニメも漫画もすごいんだけど、そこらへんに関してはいろんなわかりやすいまとめがあるので検索して読んで欲しい。

個人的な思いだけダラダラ並べる。

 

私がすごいと思うのは何点かあるんだけど「薬売り」という主人公であって主人公でないひとの存在と在り方、描きかたが好きだ。

「江戸化猫」「大正化猫」シリーズの始まりと終わり(2020年3月時点)である2作品に出てくる薬売りは、似て非なる存在に見える。見せられている。

時間軸すら「江戸化猫」→「大正化猫」で確定としていいかわからないような物語の描き方(この2話に限らず、モノノ怪シリーズ全体通してそう)なんだけど、この2話は絶対に何かの因果でつながっていて、その因果を渡って薬売りはここにいる。少なくとも、この2作品を見た人はそう思ってしまう、ような気がする。

同じ見た目のひとを同じ作品で扱っていながら、似て非なるように見せることができる。私は今も昔もこういうタイプの作品がすごく好き。ていうか、「ああ、一本とられた!」と思うことのできる作品が好き。

薬売りというのは「山田太郎」みたいなひととして個の識別ができる名前が一切明かされなくて、「妖を斬る」ためにフラッと現れる「自称・ただの人間(または薬売り)」、ただそれだけのひとなんだけど、「江戸化猫」「大正化猫」は、そのフラッと現れるひとが、同じ「化猫」という妖を斬るために江戸と大正、その両方に現れているんだよね。

しかも、妖を為す「形」「真」「理」を暴くために出てくる証人たちは、「江戸化猫」「大正化猫」で同じ顔をしている。名前も境遇も違うけど。薬売り、一体どう思ったんだろう。いや、アニメの見せ方でしょと言われたらそれまでだし、薬売りはそれに対してな〜んも言及しないからわからないんだけど、そういうの考えてしまうよな。

そういうの考えさせるのが天才なんだよな。そういう作家になりたい。

あとこれはモノノ怪を知ってる人にしかわからないと思うんですけど、「大正化猫」で小田島様ポジの顔の人がいなかったのって何なんですかね。加世ちゃんはいたのにな。誰か答えを教えてくれ。小田島様は特別なのか?いや「江戸化猫」見てるとあのひとは特殊なのかもという気もする。そうなのかもしれない。

 

次に、女性の描き方が好きだ。

絵的な意味でももちろんすきなんだけど、それぞれの話の中で必ず、女性がキーになっている。

自分が女子校だからとか関係ないと思いたいんだけど、時代設定もあってか、とにかく女性の扱いというものを考えさせられる。

女性たちは美しくて、妖しくて、人ならざるものに近い、または妖そのものになっていく。薬売りも美しくて妖しくて妖に近い(「鵺」のときとか特に意識されてたと思うんだよな)けど、妖を斬る存在なんだよな。明らかに人ではないと思しきハイパー(変身後、こう呼ばれがちだし私もこう呼んでいる)と何かしらの繋がりがあり、かつあんだけ耳尖ってるの見ると、薬売りも人間じゃない、妖に近い存在なのかも知れない。でも「ただの人間、ただの薬売り」って言う。

女性の話から逸れてしまった。

「江戸化猫」の珠生、「座敷童子」の志乃、「海坊主」のお庸、「鵺」の瑠璃姫(はちょっと違うような気もするが)、「のっぺらぼう」のお蝶、「大正化猫」の節子。

彼女たちは何かしらに縛られていて、当たり前のように自由に何かを選ぶ、何かをするということが難しい環境にある女性たちだった。

多分、描こうと思えばいくらでも「男尊女卑の時代、苦しんだ女性」を描けたと思うんだけど、明確にそれを感じたのは「大正化猫」くらいで、他に関してはそれよりも前に「むごい」とか「怖い」「不気味」が来てしまうので、私は正直女性の扱いがどうとか、妖に近いのは皆女性だったとか、全然気付いていなかった。全部怖いので。

そんな彼女たちが様々な形で妖と接したり、妖を生み出したり、そういう時って妖しくて怖くて美しい。凄絶だ。

「江戸化猫」「大正化猫」なんて薬売りが結構苦労しながら戦っているのでマジで強いし妖ほんと怖いんだけど、妖の怖さの中に、紛れもない美しさや気高さを感じることもできる気がする。

というか、妖の「形・真・理」を聞かされると、そういうものがある、と認識せざるを得なくなると思うんだよな。

怖い、倒さなくてはならない、と思う存在の側や中に、何かがままならずこうなってしまったものや人の影を感じる。情が湧いてしまう。

怖いものにほんのちょっと隠し味を加えるのが上手すぎる。

「形・真・理」が分かった時点で大体妖を作り出す原因になった人間はどうにかなっちゃってることが多いので、余計に妖に情が湧く。もうちょっと復讐してもいいんだよ、とか思ってしまう。私は妖退治に向いてない。

 

めちゃくちゃ簡単にまとめると怖いものを倒すというかしずめるお話なんだけど、結果が分かっている話の中でそうやって色んなことを考えさせてくれたり、大いに感情移入させてくれるってすごいことだと思う。

悪に見えるものを悪として見えないように徐々に情を湧かせてくる。急に来るんじゃないんだよな。あっ、かわいそうかも、あっやっぱり、あっ、あっ…みたいな感じで、滲み出てくる。情を引き摺り出されてるというのが近い。

多分他にそういうアニメや作品は山ほどあるけど、私は最初に出会ったのがモノノ怪だったので、モノノ怪を一生の指標にしてついていく。

 

私がモノノ怪で一番好きなのは「鵺」なんだけど、これ本当に出てくる妖が一番妖(あやかし)していて好きだ。

私たちが知っている鵺という妖怪をうまく説明した上で、話の中で妖として出てくる鵺はすごくオリジナリティがある。

そして、妖は人が為す、という要素もすごく綺麗に入っている。

鵺に辿り着くまでの道のりも、階段を登っていくようでわかりやすい。第一関門を突破したので第二関門に挑むぞ、みたいな感じで、話の流れが比較的わかりやすいと思う。

あと鵺はめちゃくちゃ怖い。無理な人は無理なビジュアルだと思うので無理しないでほしい。

とは言ったんだけど今アマプラで観れるから是非観てほしいよな。冒頭は怖いけどテンポいいしギャグ多いし、台詞回しがめちゃくちゃいい。語感の良い台詞回しが異常に好きな人、ほんと是非見てほしい。

 

前にツイートで難易度(個人見解)を書いたので、小指の先くらいの参考にしてほしい。

あと、死ぬほど役に立たない私的オススメポイントもついでに添えた。

化猫(モノノ怪)≫≫のっぺらぼう≫鵺>座敷童子>海坊主≫江戸化猫(ayakashi)

・「江戸化猫」

何かこだわりがなければこれから見たほうがいいと思う。モノノ怪の始まり。よく喋る薬売りさんがかわいい。最初からこんなに重くていいのかというくらい重い、と思う。

・「海坊主」

「江戸化猫」と登場人物の繋がりがあるので、続けて見るとちょっと得。柳幻殃斎がかわいい。話が解決したと思ったらラストにめちゃくちゃな謎を残していった。どうなったんだよアレ!誰か教えてくれよ!!!!

・「座敷童子

妖のビジュアルがあんまり怖くない。なんというか、怖いよりは「寂しい」が前に来る、そんな感じ。泣けるという人もいるんじゃないかな。私は最近見直したら改めてグッと来た。

・「鵺」

上でも述べた通りの理由でイチオシ。薬売りの数ある名言(個人の見解)のうちのひとつ「うっかり、うっかり」が聞ける。

・「のっぺらぼう」

何でとは言わないけど皆「狐面の男」好きになるような気がするな。個人的には一番怖い妖だと思うし、現代でも生まれてそうだなと思う。皆の心の中にもいるのかもしれない。

・「大正化猫」

めちゃくちゃ怖い。終わり、というかラスボスにふさわしい。エンディングでOP曲流されてる感じがする。話が進むにつれてオイオイオイ…て感情が増す。あと、引っ掻く音が無理な人は気を付けたほうがいい。終わり方がすごく好き。

 

1話でも見たら私に連絡ください。是非、あそこ不思議だった、あれなんなんだろうって語りたいので。

ざんげ

マジで個人的な話なので活字を見てないと死ぬという人もできれば読むのを避けた方がいい。もうメモに近いので…。

 

 

 

わたしはツイッターアカウントが多い(今数えたら9個あった)んだけど、理由なく増やしてきたわけではない。

 

2012年?2013年?高校生になったばっかりの時にはくお〜きにハマって、狂ったように個人サイトとかpixivを漁っていた。

Twitterが普及してきたらTwitterに移って、pixivでしか見ていなかった憧れの作家さんもフォローしよう!と思った。

 

思ったんだけど、その作家さんは「18歳未満の人はフォロバしません」とbioに書いてた。

15歳(ヤバくね?8年前だぞ)の私にはマジで気が狂う宣告だったけど、我慢して2年?1年半?くらい待った。

18歳になった当日にフォローしにいった。

bioに「18↑」って書いた。

フォロー許可された。

フォロー許可されたの嬉しすぎて、友達に言いふらした。

 

その時って確かちょうど刀が流行り始めていた時期で、その作家さんの周りだけじゃなく、私の周りでも刀ブームが来ていた。

地雷とか特に無かったから、流れてくる推しジャンルと刀を何にも考えずに摂取していた。

でもその作家さんは違ったみたいで、自ジャンルと他ジャンルの境界が曖昧になっていくFF界隈に複雑な気持ちを抱いていたらしい。

らしい、という曖昧な推測をしてるのは、もうその人のアカウントが無くて、私が知っている限りではpixivの更新も止まってしまっているからだ。

 

私が作家さんをフォローしたあと1年も経たないうちに、その作家さんはアカウントを削除してしまった。

マジで泣いた。

いや泣いたまでいかないけど本当にショックだった。

推しカプを描く作家さんの中で、最も好きで最も憧れで、絶対にこの人みたいな漫画を描けるようになる、この人みたいに推しカプを生み出すぞ!と思っていた。

緊張しすぎて一回もリプライしたことなかったのを悔やんだ。

もっと感想とか送っておけばよかった。

あなたの作品が好きです、憧れてますって送っておけばよかった。もう6、7年?経つのに、まだ後悔している。

 

それでもって、「1つのTwitterアカウントで、複数のジャンルのことをツイートする」ことがなんだかトラウマになってしまった。

そのアカウントに加えて日常用アカウントを作るのに始まって、規制垢(この言葉めちゃくちゃ懐かしいな)、日常用(裏)アカウントとどんどん増えていった。

ここら辺は正直分ける意味があった。

高校の後半あたり「このジャンルの絵を描こう!!、!」と思ってめちゃくちゃ再燃したジャンルがあって、そのジャンル用にアカウントを作った。

結局再燃したあと鎮火して、また再燃したんだけど、そのアカウントは他ジャンルのことをなるべく発言しないようにした。

私はこのジャンルしか知りません、くらいの勢いだった。

同時期に、死ぬほどハマったソシャゲがあった。そのソシャゲのためにアカウントを作った。

そのソシャゲの二次創作がしたくて、それの裏垢を作った。

ついでに、一次創作のためにアカウントを作った。

 

この時点で多い。

6個か7個くらいある。

そのあとも、ジャンルが増えるたびにアカウントを作った。

あんまり作るのもアレだしと思って、使ってないアカウントをリサイクルとかもした。いや、あんまり作るのもアレだしっていうか既にありすぎだった。高校生が持つアカウントの量かよ。

1番多い時は13個あった。

私をよく知ってる人はわかると思うけど、私はマジで器用じゃないし飽きるのもはやくて、やりたいことやりてえ!ドタバタ!みたいな人間だから、複数のジャンルの萌え語りを複数のアカウントで平等にする、みたいなことが全然できなかった。

というかハマり加減もあって偏りが出てきてて、もってるアカウントは10個を超えてるけど使ってるアカウントは5個とか、そういう感じになっていた。

そこまで来ても、やっぱり「アカウントを統合しよう」とはならなかった。

あの日めちゃくちゃにショックを受けた私が、「お前がアカウントを統合して、嫌な気持ちになる人間がいるかもしれない」と言っていた。そんなことを気にするほど大手でもないのに。

でも気にしていた。

まだ気にしている。ので、こんなブログを書いている。

 

携帯が壊れたので、Twitterアプリを入れ直した。

肝心のアカウントのID、マジで覚えてなかった。

思い出せる限りのアカウントIDで、5、6個復活させた。

実際それで事足りているので、多分携帯は壊れるべくして壊れたんだろうと思うことにした。

 

会社で働き始めて、とにかく絵を描く機会を失ってはならんと思った。

今までのアカウント形態だと、そのアカウントで担当していないジャンルの絵を描いてもあげる場所がない、ということになる。

それだとモチベーションが下がるな、と思った。ジャンル固定のアカウントしかなくて、そのジャンルへの熱が下がってきたら、絵あげる場所もないしマジで絵描かなくなるじゃん。困っちゃうな。私は絵が描きたい。

描いたものに反応があると嬉しいから、どこかにあげたい。

すぐに反応があって、やりとりしやすいのはやっぱりTwitterだと思った。

いろんな絵をあげるだけのアカウントを作った。

アカウントを作るほどではないけどこのコンテンツの絵を描きたい!描いた!というときに使うアカウント。

他のアカウントに比べて反応が少なくても全然いい、とにかくパッとあげて誰かに見てもらえるアカウントが欲しかった。

 

実際楽だった。

「いろんなものを描きます」と明言しているから、それが嫌な人はフォローを避けるはずだし。

もちろん時期によって描く絵にコンテンツの偏りはあるんだけど、自分の中でそれを気にしなくていい、アカウントを分けて「この絵はこのアカウントに上げる」みたいなことをしなくていいのがすごく楽だった。

あと、徐々にフォロワーも増えてすごく嬉しかった。ジャンルを限定しなくても見てくれる人はいるんだな、本当にありがたいなと思った。

それで考えた。

はくお〜きアカウントで描いていた絵、もうこの雑多アカウントに統合した方がいいんじゃないかって。

生涯の推しカプとまで思っているのに、最近絵を描いてない。それはなんでかというと、多分「見る人がいないから」「やりとりする人がいないから」というクソ承認欲求くんのあらわれなんだよね。

推しカプの絵を描くのはやめたくないし、同ジャンルのオタクがいなくても絵は見て欲しい。

そしたら、絵だけは見てくれる人がいるところに上げた方が自分のためになるかもしれない。

「文字での推しカプへの妄言は従来のアカウントでする」というルールを定めた。

そもそも雑多な二次創作絵をあげるために作ったアカウントだから、あんまり文字を置きまくりたくない。

アカウント分けた意味がない気もするし、あとはくお〜きの推しカプには塩漬けされた邪な感情を抱いているので、それは隔離しておきたい。

とはいえ雑多絵アカウントに文字の呟きがないわけじゃないんだけど、絵に比べれば少ない(はず)なので、まだどうにかなってる。

 

そういう理由で、アカウントを分ける理由になったジャンルの絵を、雑多絵アカウントに移行して描こうとしている。

あのときめちゃくちゃショックを受けてた高校生の私、ごめんなさい。

承認欲求が成長した23歳の私は、あなたの生涯の推しカプの絵を雑多垢で描きます。